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広島高等裁判所松江支部 昭和51年(ネ)7号 判決

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は原判決事実摘示中控訴人に関する部分の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

請求の原因一記載の本件事故発生の事実は当事者間に争いがない。

そこで控訴会社の責任について検討するに、控訴会社が原審相被告森谷を使用していたこと、同森谷が控訴会社の米子市内の工事現場に出張し、その帰路に本件事故が発生したことは当事者間に争いがなく、原審証人小野駿の証言により真正に成立したと認める乙第一号証の一ないし四、同第二号証の一、二、同証言および原審相被告森谷本人尋問の結果によれば、原判決一〇枚目裏一行目から一二枚目表二行目までに記載された事実が認められるほか、前記森谷が、控訴会社において工事現場への往復に従業員所有の自家用車を利用することを原則として禁止していることを熟知しており、自家用車を控訴会社の業務との関連で使用したことはないこと、米子市における工事に何回も来たことがあり利用すべき宿舎が確保されていることを承知していたこと、同人は倉敷市を出発するに当り自動車を利用することについては勿論のこと出発日時、旅行方法など所定の事項を控訴会社に届出ず、これに対して控訴会社が何らの措置をもとらなかつたこと、控訴会社において同森谷のようなオペレーターは工事現場に自分自身だけ赴けば仕事ができる態勢になつており、出張する場合にも特別の準備をする必要がなかつたこと、同森谷が自家用車で倉敷を出発したのは列車の時間に間に合わないためではなく、あわただしく出発するのが大儀であつたためであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実に基づいて考えるに、午後の四時か五時頃出張を命じられて翌朝八時からの勤務に間に合うように鉄道を利用して倉敷市内から米子市まで赴くためには、出張命令を受けた日の夕方倉敷駅を出発して米子市に宿泊するほかなく、しかも利用できる列車の数はごくわずかしかないが、午後七時頃の特急列車を利用すれば午後九時半頃までには米子駅に到着することができ(この事実は当裁判所に顕著な事実である。)、これだけの時間的余裕があれば、出発準備のためには十分であり、米子市内には宿舎の用意があるのであるから、米子市に宿泊するのに何ら差し支えがない。また、予め同森谷から控訴会社に対して利用する交通機関についての届出がなされなかつたにもかかわらず控訴会社が何らの措置もとらなかつたことも、控訴会社において前記森谷とその同行者が自家用車を利用することを十分予測できたのにこれを黙認したことを意味するものということはできない。他に同森谷らがその自家用車を利用して米子市へ赴かざるを得なかつたこと、あるいは控訴会社において自家用車を利用することを許容していたことを認めるべき事情のない本件においては、同森谷らが米子市へ向うため自家用車を運転したことをもつて、行為の外形から客観的に見ても、控訴会社の業務の執行に当るということはできない。そして、米子市から倉敷市へ帰るためには昭和四八年二月七日および同月八日の二日間の時間的余裕があり、自家用車で米子市へ行つていなければ、鉄道を利用して帰るのに何らの差し支えがなかつたのであるから、前記のとおり米子市へ赴く途中の運転行為が控訴会社の業務の執行に当らないと解される以上、本件事故当時の運転行為もまた業務の執行に当らないと解さざるを得ず、結局、本件事故は控訴会社の事業の執行につき惹起されたものということはできない。

してみれば、本件事故が控訴会社の事業の執行につき惹起されたことを前提とする被控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるから棄却すべきである。

よつて、右と結論を異にする原判決のうち控訴人の敗訴部分を取り消し、被控訴人の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 干場義秋 加茂紀久男 瀬戸正義)

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